談笑が飛び交う会場。控えめに響くその声たちは、浮き足立っていて、どこか開演の待ち遠しさを感じさせる。
物語へ導くような語り部が合図となったのか、途端と静まり返る劇場。
僅かな月明かりのような光が舞台を照らし、厳かな音楽が流れ出す。
ただ劇場には踵が紡ぐ靴音が響き、そのしんとした空気感に思わず、ゴクリとひとつ息を飲み込む。
まるでその物語の世界へと迷い込んでしまったかのような没入感と高揚感。どちらもが入り交じった異様な空間なようで、どこか心地よい空間。
鼓膜を揺らす声たち。映像のない世界。音だけで作り出す世界。その世界に、否応にも惹かれる。
それが──朗読劇。
初めに
皆様、こんばんは。
10月も下旬。秋色が目まぐるしく移り変わっていく季節となってきました。
ビルの隙間を吹く風も、肌寒いと感じ、晴天の青空に心震わせる日々が続いております。
さて、本日こちらの記事で語らせていただくのは10月25日〜10月30日に上演されている『朗読劇幽玄朗読舞「SEIMEI〜道成寺伝説より〜」』についてです。
朗読劇というものに、並々ならぬ興味関心を抱いているのか?と問われると、そうではないのですが、今回逢田梨香子さんが出演される10月29日(土)の夜公演に参加させていただきました。
この公演は、声優回となっており錚々たるメンバーの顔ぶれに驚きを隠せなかったことが懐かしいですね。
藤原和人役 山下誠一郎
そんな清姫役を演じられる逢田さん。今年になってから、以前にも増して逢田さんのことを知るような機会を多く増やしてきたわけですが、朗読劇に関しては今回で2度目です。
いつものトークやライブとは違った緊張感もまた、醍醐味のひとつ。舞台と違って、ただ人の声音と表情、そして小さな手や足の動きだけで再現する朗読劇に、また私は囚われてしまったのでした。
朗読劇 幽玄朗読舞「SEIMEI〜道成寺伝説より〜」について
日本の芸能の基礎となる「能」の世界。
その中でも安珍・清姫伝説としてよく知られている能作品「道成寺(どうじょうじ)」をオリジナルストーリーによる朗読劇と舞、そして光、音を駆使しながら幽玄の新しい形のエンターテイメントをお届けします。
果たして?!最強の陰陽師「安倍晴明」と弟子の「藤原和人」の師弟コンビは大蛇と化した清姫を倒すことができるのか?!
公式サイトによると、朗読劇だけでなく、舞や光、音といった様々な演出があるようで、観劇前の私には想像がつきませんでした。
劇場となったのは、「博品館劇場」へ向かうために、私は新橋駅へと降り立ちました。
サラリーマンの街で知られる新橋はいたるところに飲食店が建ち並びサラリーマンで賑わっています。鉄道の街としても歴史があり、現在、新橋駅周辺は再開発で発展してきています。
しかしながら、昭和の懐かしい催しもあり昭和と平成がうまく融合した街とも言えます。あのレトロな街並みに入り交じった繁華街を見ると、ここで一杯やりたいなぁ……などと考えてしまいました。
行き交う人並みを掻き分け辿り着いた先、ネオン街に照らされた街中にその劇場はありました。
外壁に貼られた朗読劇の広告とレトロ溢れる外観。そして、中へと入るために並んでいるであろう私と目的が同じ人たち。
初めは「本当にここに劇場があるのか?」と思うほど、場違い感を抱いていたのですが、1階からエレベーターに乗り込み、8階へと上がるとそこには……多くの人だかりが。
それだけ、この朗読劇の世界に虜になろうとしている人たちが沢山いることを感じました。
本公演は、祝花を贈ることが出来ず、その代わり「招木々というものが飾られているようで。何人か、私もSNSで交流がある方々が贈られていて、どこか温かい気持ちになりました。
これだけの人たちが、出演者へ向けて想いを届けて……そんなことを考えながら劇場内へと足を運びました。
階段を一段、また一段と登っていく。赤いカーペットが敷き詰められた劇場に心が踊ると共に、視界が開けた瞬間に驚きの声が漏れそうになりました。
舞台が近い。
そう、小さな劇場故の近さに震えが止まりません。最前列に座っている人たちは、どんな想いであの舞台を見つめていたのでしょうか。
私の座席は、劇場内でも真ん中の真ん中と言える位置。舞台を中心に眺めることが出来て、とてもゆったりと見ることが出来ました。
ここからは、公演の内容に触れていきます。現在、アーカイブでも配信しておりますが、ネタバレを気にされる方は、ブラウザバックしていただけますと幸いです。
序景
1018年、平安時代。藤原道長の世とも言われ?全国を藤原氏の一族が絶対的な権力を持つ時代。そんなナレーションを、高橋さん、逢田さんのお2人で交互に語り出す。
清姫役の逢田さんのお召し物は、上が黒のトップス、下が赤のスカート。それに対して安珍役の高橋さんは、白を基調とし、首元に青いストールのような物を巻いている。
さしずめ陰と陽を表現しているかのような対比した衣装に、舞台背景を感じられます。
晴明役の黒田さんの「はぁぁあぁああ!!!!!」という声の迫力に開幕から圧倒され、一気に平安時代へとタイムトリップしました。
和人役の山下さんのおちゃらけ具合というか、ハマり具合というか、晴明とは違った弟子としての存在感の強さが印象に残りました。
第一場面
場所は変わり、信仰の成長熊野。
清姫が一人、歌を歌いながら手まりをついていました。
トントン お寺の道成寺
六十二段の 階を
のぼり詰めたら仁王さん
左は唐銅 手水鉢 手水鉢
逢田さん演じる清姫の幼い声に、悶える程の可愛さを感じさせられます。片手で台本を持ちながら、もう片方の手を、まるで手まりをついているかのように動かす姿に、子供心が擽られます。というか、可愛すぎる清姫。
そこへ通りかかった安珍。2人の出会いのきっかけは、手まりでした。
清姫の母は蛇。つまり、清姫は蛇の子であり、人の寿命が分かったり、鳥や獣のコトバが分かるという奇妙な能力を持っていました。
そう話す逢田さんの表情たるや。幼さがありつつも、姫としての立ち振る舞い、安珍が「遊びましょう」と口にした時の困り感などの演じ分けは、流石の一言。
安珍役の高橋さんと優し気に笑う表情にも心奪われます。「笑顔が似合う」と清姫に伝えた時の、逢田さんの顔が忘れられません。
トントン お寺の 道成寺
釣鐘下ろいて 身を隠し
安珍清姫 蛇に化けて
七重に巻かれて ひとまわり ひとまわり
清姫は即興で歌います。逢田さんは、アーティストとしても活躍されており、口ずさむ姿とメロディーをなぞる歌声の綺麗さにうっとりしてしまいます。
場面は移り変わり、晴明と和人の道中へ。足が悲鳴を上げ、和人の不甲斐ない一面が見られます。晴明は、仕方なく式神を召喚します。
その式神を演じていたのは……逢田さんでした。清姫役と兼役して式神を演じる逢田さんは、清姫の時とは違いお姉さんのような佇まいをしておりました。というか、むしろこっちの方が……いえ、何でもありません。
ここで、まさかの爆弾発言が飛び交います。
「奥州白河……つまり安珍は、福島県出身」「ここ熊野は和歌山県。私たちの住む都は平安京、今でいう京都府のことです」などと、平安時代では絶対に出てこないであろう言葉たちです。
こういったコメディな部分が所々入っているお話に、思わず開場からも笑いが溢れます。
晴明、和人は、清姫と安珍と相対します。その様子を影から見守っていた白蛇こと、清姫の母親の存在も知ることとなり、物語は更に移り変わっていきます。
波の音にはしゃぐ清姫の姿は、まるで幼子を見ているかのようで、どこか放ってはおけない存在です。そんな存在を演じる逢田さん、やっぱり可愛すぎると思うんですよね。(唐突な推し語り)
そんなはしゃぐ清姫の後を追うように安珍も続く。水を掛け合う2人を見ながら「……青春が、眩しい」と言う晴明。思わずにこりと笑ってしまいます。
ずらされた祠を戻す和人こと山下さんの臨場感溢れる演技。本当にそこに祠が存在しているかのような錯覚を覚えます。
そんな和人を応援する式神の逢田さん。清姫とは全く違った声質に、本当に同一人物が演じているのだろうか?と疑問を抱いてしまいます。
そして演技だとは分かっていても、衝撃の一言が逢田さん、清姫から飛び出ます。
許さん!!!と、お父さんが出てしまいそうになるのを「演技だから、演技だからね?」と必死に心の中で抑えます。
迫るように安珍へと想いの丈をぶつける清姫。幼いながらも、決めたことに対する行動力には圧倒されます。安珍もその勢いに負け、ついに「夫婦となりましょう!」と契りを交わすのでした。
指切り指切り、指切った。と。
「やった!!安珍、大大だーい好き!」と叫び、上手に去る清姫。待ってください。高橋さん、そこ、代わってもらっても……いいですか。
清姫に相応しい夫となるために、安珍は覚悟を決めます。対等な立場、身分となるために……安珍の覚悟を見事に演じる高橋さんの迫真の演技に、息をするのも忘れてしまいます。
第二場面
第二場面でも開幕早々、現代語をぶっ込む脚本にはやはり笑ってしまいます。
「ワンチャン」とか「○○推し」とか「推し事」、挙句の果てには「エモい」は駄目です。駄目なんです。
笑いが止まりませんでした。平安時代には絶対存在するはずがない現代語でのやり取りは、脚本家の遊び心を感じる場面であります。
一方熊野、庄司の館では安珍が険しい顔付きをしていました。たとえどんな手を使ってでも……と、唇を噛み締め、形相な顔付きをする高橋さんに鳥肌が立ちました。
そんな安珍を心配する清姫の好意に対して、声を荒らげる安珍に、何も返す言葉が見つからない清姫。
「生まれというのは、大きなものですね」という安珍の一言に、とても同情してしまう自分がいました。いや、同情する資格など私には無いかもしれませんが。
実際問題、現代でも続いていますよね。生まれによって、人生がある程度縛られたり、やれることやれないことの差が生まれたり。
そのことを悔やんでいては元も子もないことではありますが、身分一つで想い人に寄り添うことの出来ない世というのは、非情なものではあります。
そんな時に、僥倖の如く安珍にとってはまたとない機会が訪れます。「倫子の病を祈祷(神仏に事を告げて祈ること)で直せ」という話へと繋がっていくのですが、久しく安珍と手まりをしていなかった清姫は、手まりをしようと誘います。
しかし、安珍はそれどころでは無い、と断ります。高橋さんの豹変した態度に思わず膝の上で拳を握り「この薄情者!!!!」と叫びたくなるのを堪えます。
演技です。演技だと分かっています。
しかし、その後の清姫こと逢田さんの切なげな歌といったら悲しいこと。安珍を思い、蛇の力、人の死を聞くこの力が力添えになれば……と思いを新たにするのでした。
月日が経っているからなのか、清姫の幼さが抜け、少し大人びた一面を見ることが出来ました。小さな声音の変化ですが、それだけで清姫が成長していることが伝わってきました。
その晩、晴明と和人、式神は酒を酌み交わしていました。和人役の山下さんが、仕切りに喉元を気にしている様子が見られたのですが、まさか式神になりきって女性の声を出すとは思いませんでした。
……声優って、ほんっとうに根っからの声のプロですね。と、プロの技に感嘆しました。
黒田さんの声は、安心しますね。晴明、と言われれば、もう黒田さんの声でしか再現されません。というか、そもそも黒田さんの晴明しか聴いていないので当たり前ではあるのですが。
そんな晩酌の最中、1匹の蛇が降ってきます。それは、清姫の母御でした。何かを晴明に願っていたようで……一言「母の情は人も蛇も変わらぬ、か」という晴明の呟きに言葉にならない想いを心に抱くのでした。
熊野では、清姫が日記をつけており、そこへ安珍が戻ってきました。安珍こと高橋さんの声音が震え、自信の無い自分の弱さをさらけ出していることが印象的でした。
そんな安珍へ、清姫……逢田さんは、差し出します。母がくれたという白蛇の抜け殻。そこには不思議な力を与え、危険から守る力が宿っているという。大切なものを、清姫は安珍へと渡すのでした。
「私は安珍様との未来があれば他に何もいりません」と。そう笑っていたのです。慈悲深いその表情に、どれほどの想いを安珍は……と、私まで胸が締め付けられます。
「お迎えに来てくださる日を楽しみに、ここで待っております」と力強く後押しをしたのでした。その想いを胸に、安珍は立ち去っていく。
見送った直後、清姫が「お母様。ごめんなさい、ごめんなさい……。」と崩れ落ちていたとも知らずに。
逢田さんの泣きの演技をあまり見たことが無かったのですが、ぎゅっと心が掴まれたかのような痛みを覚えました。
祈祷する安珍。観音経を読み上げ、呪いを祓わんとしている。その場にいても、全くもってお経の意味を理解することが出来ませんでした。
台本を貰っていたので、そちらでも確認したのですが……やはり理解不能です。
ですが、その時の高橋さんの鬼気迫る表情といったら脳裏にこびり付いて離れません。あんなにも……清姫を思うが故、どこか危うい道へと進んでいるような……そんな気がしてなりません。
ひと月が経ち、朱雀大路を歩く晴明、和人、式神。牛車に乗った安珍が声を掛けるのですが、3人は気付かない様子。
挙句の果てには、白河だるまと言うのですが、この時代にだるまは存在していない、とまたしても時代設定を大きく外れる展開に。
(ちなみに、こちらが白河だるまみたいです)
ようやく安珍だと分かった3人。晴明は、安珍に「倫子様の病状快復は一時のものである。今のうちに薬と食を取らせ、本当の原因を鎮めるのが良い」と進言する。
しかし、安珍は気鬱の病だと蹴り飛ばし、荒行を行い身につけた法力があると浮かれている様子。
その後清姫との関係についてつつかれるが、狼狽えながらも答えたが、法成寺の完成を急ぐと言い、立ち去って行く。観音経を述べた安珍に対し、晴明が色即是空と返し、少し大人気のないことをしたと言うが……その胸騒ぎは思い過ごしではなくなっていく。
一方清姫は、一人ぼっち。「鳥たちよ」と話を掛けるが、鳥たちは応えず逃げていく。母である白蛇が清姫の元へと訪れるが、威嚇し走り逃げてしまった。
悲痛な逢田さんの痛々しいような姿に、介護欲が掻き立てられます。
自分の過ちを悔い、すすり泣く清姫の元へ式神の体を借りた晴明が訪れる。晴明が、清姫の様子を心配し、今後を案じるが「人か蛇かなど関係なくきっと……必ず、愛しぬいてくださいます!」と訴える姿に、もう私自身が今すぐ駆け寄って抱きしめたいと、そう思わずにはいられませんでした。
「……安珍は戻らぬぞ」と現実を突きつける晴明。その言葉に現実逃避をし続ける清姫。和人の知らせに、晴明は後を立ち去り、その場には清姫だけが残されます。
手鞠歌を口ずさむ清姫こと逢田さん。その声音は、これまでで1番切なく、涙が入り交じった悲しげな歌に聴こえました。
祈祷して一時快復していたはずの倫子様の病状が変わり、必死にお経を読み上げる安珍。清姫の守り袋に願うも、役に立たない!と袋を投げ捨ててしまうのでした。
しまいにはお助けを、お助けを!と乞い願う始末。そこへようやく晴明と和人が駆けつけます。魂を呼び戻すように、力を合わせる3人。
母蛇の力のおかげで事なきを得たが、いざ祈祷を始めようというタイミングで、安珍はその怖さに逃げ出します。高橋さんの恐れ戦く姿は、まさしく安珍そのもの。人が恐怖に囚われた時に、こんな表情をするのかと、その臨場感を味わうことが出来ました。
逃げ出した安珍に構わず、必死に晴明と和人は、祓え給え、清め給え。神ながら守り給い、幸え給え……そう、唱え続けるのでした。
第四場面
清姫が再び日記につけています。
清重に許しを乞う安珍。お助けください、と願いも虚しく、劇場には悲痛な声が響いていく。
そんな安珍の元へ、清姫は駆け込む。もう安珍に護られるだけの清姫ではなく、今度は愛しい想い人を護るために。
祓い終えた晴明と和人。晴明の式神が知らせを届ける。そして「すぐに行けるか、和人」と声を掛ける。間髪入れず「もちろん、いつでも出発できます」と答えていた。
山下さんと黒田さんの師弟関係の深さに、どこか気持ちよさを感じます。この公演だけしか本番を味わっていなはずなのに、昔から深く関わってきたかのように。
熊野の山中を、夜遅く追っ手から逃げる清姫と安珍。小さかった頃は、安珍が清姫の手を引っ張っていたはずなのに、今は逆の立場になってしまっていました。
フクロウの鳴き声に怯え、コウモリの姿に戸惑う安珍を安心させるかのように、清姫は言葉を掛けていく。
あんなにも自信に満ち溢れた安珍は、もうそこにはいません。高橋さんが怯える様子とは対称的に前向きな姿を見せる逢田さん。そこには、2人にしか分かり合えない時間が流れていたように感じます。
見回りに出ると話し、葛藤を続ける清姫。そんな清姫の元へ晴明が式神でコンタクトを試みる。
晴明は、なんとか2人を逃そうとアドバイスをし、清姫は何度も何度もお礼を述べていく。そして、強く口にするのです。
「人の心は変わりやすいけど、何があっても変えられない心もある。私は子供の頃から、安珍様が好きです。」
と。想いを貫き通すその意志力に、震えが止まりませんでした。核心をついた一言であると同時に、その意志を貫くことの大切さを、改めて強く思いました。
松明を持った安珍は、その式神と清姫のことを見ていました。晴明に対する嫉妬というべきか、それとも己の醜態を嫌っているのか……どちらにしても、清姫の願いは届かず、口答えするな!と、反発しまいます。
松明の明かりが清姫の影を照らし……そのかげが、蛇であることに気付いた安珍は、清姫を拒みます。高橋さんの怯えきった表情、奇異なものを見たかのような瞳が、その状況をありありと伝えていますね。
頻りに蛇だ!蛇だ!と清姫を罵倒する安珍。清姫は、一緒に手まりをしたこと、笑顔が素敵だということ、自分そのものを愛してくれていたことを伝える。その必死さは、逢田さんの演技からもひしひしと感じます。
決死の願いも届かず、安珍は心の中では怖かった。都に近づくため、未来を拓くための鍵だと、そう道具であったかのように伝え、最後には全部お前のせいだ!と言葉にするのでした。
その時、清姫に異変が起こります。声音が変わり、みるみると表情が変わっていく逢田さん。怒りに溢れた清姫の姿に、安珍の顔は恐怖で彩られます。
第五場面
日高川の渡し場。船着き場の船頭に頼み込み、安珍は向こう岸に渡っていき、清姫をその後を渡ろうと頼み込みます。
しかし、船頭は安珍から十六、十七なる娘を渡さないでくれ、と頼まれていたがために、決して首を縦には振りません。
その時の逢田さんの声音が、正直忘れられません。どこか妖艶で、悦びを隠しきれないような、そんな恐ろしいと感じさせる声。夢にまて出てきそうです。
それならば、と川へ飛び込もうとしていた所で、晴明と和人が辿り着きます。川に近づき、水面を覗いた清姫が見たものは……自分が化け物の蛇となった姿でした。
泣き声が唸り声に変わっていく。その声の振れ幅に、また私は舌を巻くのでした。本当にこの声は逢田さんが……?と、益々謎が深まるばかり。
黒田さんの安心感のある声。「違う、独りではない」と、そう言葉にする声は、清姫を安心させるだけの力があったようにも思えました。
ですが、愛を成就するために、清姫は大蛇となり、向こう岸へと渡っていくのでした。
お助けくださいお助けください!と何度も門を叩く安珍。焦燥に駆られた高橋さんの姿。安珍の姿と重なります。
後方では、踊り手が蛇のように舞い踊り、大蛇となった清姫は安珍を探し、追い続ける。あの仲睦まじかった二人の姿は、もう見る影もありません。
逢田さんが「みいつけた」と「あんちん、あんちん」、「ようやく抱ける。もう二度と離さぬ」と、あまりにも豹変した姿、声に……震えが止まりません。
手に汗握る展開に、何故か知らぬ間に握り締める自分の姿がありました。
そして鐘に隠れた安珍に巻き付き、鐘へ向け炎を吐く。次第に燃え上がる鐘。叫び声を上げる安珍。笑い続ける清姫。
まるで、燃え尽きてひとつにならんとする清姫の姿が、逢田さんと重なりました。
鐘突き堂の前に駆け付けた晴明と和人。鐘に大蛇が巻き付き燃えているのを見て、助けようと和人はするが、晴明は手遅れであると判断をする。
目を逸らそうとする和人、山下さん。その表情には、もう見たくもない、という心が表れていました。ですが、晴明……黒田さんは、それを許しません。
「難しきことを諦めればどんなに楽か。だがそれではお主が夢見る自由な世はおろか、たった一人を救うこともできんのだ」と、教えを伝えるのでした。
1人の人間として、他人を導く人間として、その言葉が深く……深く心に突き刺さりました。
鬼を祓い、鐘越しでも言葉を交わせれば……と呪文を唱え続ける和人。そして、晴明。その二人の言葉に、清姫は苦しむ。
苦しむ姿は、本当に痛々しく、舞台での演技であるなずなのに、終始膝上で握った手が離せません。
4人の声が、混じり合い、天へと登っていく──。
一瞬の静寂の後、精神の世界へと安珍はいました。そして……清姫もまた……。
ようやく言葉を交わした二人。「私は、頑張る方向を大間違いしていました」と、自身の行いを反省する安珍。
そんな安珍を優しく笑って受け止める逢田さん。高橋さんからも、先程までの恐れはなく、穏やかに笑っていました。
そして、こう口にするのです。
「恐れていたなんて出鱈目を。私はあの時のあなたの笑顔に恋をして以来ずっとずっと、好きのままでした」
と。そう口にした安珍の吹っ切れたような顔付き、高橋さんの表情は、とても素敵でした。それに対して、好きな気持ちは一緒だと、変わってたまりますかと、強く口にする逢田さんは、清姫としてそこに生きているのだと思いました。
最後であることを、どこか二人は感じていたのでしょうか。清姫は、思い切ってこう話し掛けるのです。
「手まりをしませんか」
あの日、あの時、二人が出会った瞬間、きっかけとなった手まりをするのでした。喜んで、と笑い、高橋さんと逢田さんは向き合います。
初めて向き合ったのです。手まりをしていた時、ずっと横並びであったはずなのに、まるでお互いの想いが初めて通じあったかのような……そんな瞬間。そして、こう二人は歌うのです。
トントン お寺の 道成寺
釣鐘下ろいて 身を隠し
安珍清姫 蛇に化けて
七重に巻かれて ひとまわり ひとまわり
と。あの日、即興で歌った歌が、予言の歌であったことを安珍は気付き、もっと早く意味に気付けていたら、と言葉にするのです。
そんな安珍に対して、悪戯っぽく笑う逢田さんこと清姫。その姿は、本当の意味で安珍のお嫁さんとして、心を通わすことが出来たかのような……そんな声音でした。
二人は笑い合い、そして正面に向き直ります。
思い残すことはない、といった表情で、それでも私は幸せでした、と清姫は口にし、それに答えるように安珍も応じます。
「もう離さないでくださいね」
清姫は、願いを込める。
「離しません。では、」
その願いを受け止め、安珍は小指を出す。
「はい。」
あの日、夫婦となる契りを交わしたあの日のように……小指を差し出す。そして──。
「指切りげんまん。」
そう二人で約束を交わす。この手は離さない、と言わんばかりに……強く、深く、約束を交わした二人。
想い焦がれるばかりに、過った道へと進んでしまった二人ですが、最後の最後で手まりを通じて、もう一度深く、強く、手を繋ぐことが出来たお二人の姿。
高橋さんと逢田さんの演技は、ここで終わるのだとお二人が台本を閉じた瞬間に分かりました。安珍として、清姫として生きた二人の姿に、涙が止まりませんでした。
演じ終えた二人は、ゆっくりと下手から照らされた光の方へと歩んでいく。まるで、羽が生えた鳥かのように……清々しさでいっぱいです。
あの世でも二人は笑い合い、手まりをしていることを願って、今は抑えることの出来ない涙を零すのでした。
絶景
現世に戻り、燃え尽きた鐘の前。二人が燃えた場所には、灰だけが残っています。その灰を見ながら、晴明と和人は合掌をする。
黒田さんと山下さん、お二人の痛ましいような、かといってどこか未来を案じるような声音に、先程までの涙が止まることはありません。
和人こと山下さんの悔しさ、悲しさ、その全てを物語っていた表情に、どうしても心が突き動かされます。
そんな和人に対して、晴明はこう最後に綴るのでした。
「悔しかろう。悲しかろう。だがそれらを全て背負ってなお、生きていかねばならんのだ。今を生き抜くその先に、明日は、希望は、訪れるのだから」
人はいつか死ぬ。残された者は、その悔しさ、悲しさに押し潰され、後ろへと後退することもあるでしょう。
それでも……それでも生きて行く。
大切な人が目の前で消え去ったとしても、生きていれば、明日は、希望は、何度でも訪れる。そう信じて生きるしかないのだ、と。
まるでこのご時世での生活を後押しするかのような晴明の言葉に、形容し難い想いが心に溢れ出すのでした。
そして……割れんばかりの拍手が、劇場を包むのでした。
終わりに
久しぶりに長々と書いてしまったのですが、少しでも見た景色が広がっていたのなら、本望です。
逢田さんを通じて足を運んだのですが、いつの間にかその世界に虜となる自分がいました。
正直、終幕後の挨拶を覚えてはいないのですが……不思議と何か受け取ったような気がして、今もこうして筆を取りながら、それが何なのか模索している所です。
季節も景色も移り変わっていく中で、変わらない想いがあるということ。それはきっと……見た人たちの心の中に、大切に仕舞われていることでしょう。
観劇した皆様は、今は何を思われているでしょうか?
私は……二人の未来が素敵なものであることを心から願っております。
そして、いつか訪れるであろう明日と希望を信じ……今日を生きていこうと思います。
簡単なようで難しい。難しいけれど、それが当たり前の毎日となっていくように、これからも生きていきます。
他人のために、自分を顧みず、誇りとなれるような……そんな人間になりたいと思いました。今の自分は、まだまだその理想とは程遠いかもしれません。
また一歩、もう一歩、今日という日を私たちは──生きていく。
だから誓わせてください。
指切りげんまん。
最後まで拝読、ありがとうございました。