ほのぼのとした田舎暮らし

ほのぼのとした田舎暮らしをしているような…そんなゆったりとした言葉を贈ります

朱色、咲く

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2年前の空を……昨日思い出した。

 

「8401」という数字。

赤いうちわを持った観客。

サプライズに涙を零す君の姿。

 

ステージでは泣かない

 

そう話した君が、あの瞬間だけ気持ちを零したような気がして、どこか嬉しかった。

 

あれから2年。

 

この2年で数え切れない困難にぶつかっていた君は、悔し涙も辛い顔も全部しゃがんで、高く跳ぶバネに変えてきた。

 

そんな君が強くて、逞しくて……眩しい太陽のようだ。

 

朱色に咲く君にもう一度逢いに行くよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここでは何を書こうかな、と考えてはいたのですが、結局なるようになると思うのでただ個人的な気持ちを綴りたいと思います。

 

Aqours」としての側面を数多く見てきたこともあって、斉藤朱夏さんの立ち位置が凄く気になっていたんですよね。

 

ダンスを習っていたという話はインタビュー等でも触れられているし、身体能力の高さも伺える馬跳びやライブ終盤の体力などなど、気になる要素は盛り沢山。

 

ですが、何より私が着目したいのがライブのMC。決まって「自由」という言葉が当てはまるような緩さに心が落ち着くし、勢いと元気があって最高。(語彙力)

 

それくらいフランクで人当たりが良い方だなんて思っていました。

 

ですが、その裏側は全くのその逆。超が付くほどの大真面目、そして努力家。

 

いや、違うな。努力を努力とは言わない。努力を当たり前だと思っている、人として尊敬出来る人。

 

それが斉藤朱夏さんでした。

 

だからあのMCはきっとわざとなんだっていつも思います。もちろんあれが素の部分もあると思いますが、きっと……逢田さんのように最年長としての説得力ある言葉を語るよりも、伊波さんのように未来を見据えた言葉を紡ぐことよりも、その間を繋ぐ架け橋のような……その言葉たちがより心に響くような空間を作ること。

 

それがあの斉藤朱夏さんのMCだと私は思います。

 

自由に見えて、誰よりも周りを見ている。彼女自身が太陽でもあり、ひまわりでもある。

 

ひまわりは、太陽の方を向いて咲くというのを皆さんはご存知だと思います。

 

ですが、それだけでは咲きません。

 

何故だと思いますか?

 

 

 

 

簡単です。「水」がなきゃ育たないから。

 

だから私は「ひまわり」という曲が好きなんです。

 

Aqoursとも凄く関係ある曲なような気がするし、私たちファンとの関係性を説いた曲な気もする。

 

何よりその歌詞に、歌に強く惹かれる。

 

故に「ひまわり」は私の中でも強く咲いている。

 

夏の間にしか花を咲かせない風物詩。ですが、この花があるだけで、「あぁ、夏が来たんだ……」って思えます。

 

 

そして、もう1つ好きな理由があって……あまり大きな声では言えないのですが、ひまわりを通じて植物の成長を教えています。

 

窓から見えるひまわりをいつも眺めながら、「あー、もう少しで観察に行けそうかな」なんて考えていたことが凄く懐かしい。

 

結局、雨風に負けて倒れてしまったけれども、そのひまわりの大きさに凄く懐かしい気持ちにもなりました。

 

自分よりも身長が高くて、花も顔より大きくて、葉っぱも手のひらよりも大きい。

 

一生懸命に子どもたちが観察していたことをふと思い出しました。

 

夏休み明け、1度連れて行こうかな……と、「ひまわり」を聴きながら考えていました。

 

 

あ、最後にひとつだけいいですか?

 

2021年度最も多くAppleMusicで再生された楽曲は「セカイノハテ」でした。

 

深くしゃがんだら高く跳ぶよ

 

当たり前の歌詞だけど、救われた一言でした。

初めてづくしの毎日、初めての授業……全て完璧でなければならないこの世界で、何故私は求められているのだろう、と何度も何度も考えました。

 

そんな時、決まってこの「セカイノハテ」を聴いていました。世界の向こう側を見たくて、破りたくて、超えたくて……私は今もがむしゃらに突き進んでいる気がします。

 

手探りで、迷いながら、それでも1歩ずつ大地を踏みしめながら。

 

その先はきっと……朱色に染まった空が咲いてる気がします。

 

斉藤朱夏さん、お誕生日誠におめでとうございます。