皆さん、はじめまして。
『逆さまの歌』を現代に復元する企画の作詞担当をしましたさらいんと申します。
改めまして『逆さまの歌』を聴いてくださった皆様、本当にありがとうございました。
個人的にも、バチバチに仕上がったと感じる曲ですので、皆様なにとぞ楽しんでいただけますと幸いです。
今回は、その「逆さまの歌」の歌詞について、自分なりに込めた解釈を綴ろうかな、と思っております。
所謂種明かしの記事となりますので、未視聴の方は聴いてからの方が安心だと思います。
また、この解釈を聞くことによって、もしかしたら捉え方が変わる場合もございます。自己責任でスクロールしていただけますと幸いです。
はじめに
実を言うとこの企画がスタートしたのは、5月頃となります。突然minamiPさんから「こんな企画あるんだけど、どう?」と誘われまして。二つ返事で受け、作詞をすることが決まりました。
普通に考えて、ひと昔前の曲を創作するというのは中々ない経験でもあるし、何よりスリーズブーケのことが好きな自分にとって受けない手はありませんよね。
「え、そんなに前なのに今⁉」と思われるかもしれませんが、言い訳をしますと……自分自身が企画に追われ時間が中々取れなかったこと、そして何よりこの作詞から逃げていたことです。
逃げていた、というと後ろめたい気持ちが大きいように見えるのですが、正直「怖かった」というのが本音です。色々な曲、人へ想いをしたためてきた中で、今回一番違う点は、「伝統としても現代に繋がる」歌詞を書くこと。
つまり、彼女たちの伝統を崩さず、かつあり得たかもしれない歌詞をイメージするというのは、これまでの作詞の方法とは違いました。だからこそ悩んだのです。
いつもなら、その方をイメージして、コンセプトを決めて、歌詞を並べて、ひとつの物語になるように韻を踏んだり、遊んだり、魔法を掛けたりします。
ですが、今回は大前提として『Reflection in the Mirror』の存在がありました。
104期活動記録第1話「未来への歌」にて、明らかとなった『逆さまの歌』は、入学してきた百生吟子ちゃんのおばあちゃんが愛したという歌です。
「……なかったの。おばあちゃんが好きだった、私の大好きだった曲。逆さまの歌が。」
〈104期活動記録第1話「未来への歌」より〉
スクールアイドルクラブの前にあった芸学部。その時代のメンバーが創作した『逆さまの歌』は、長い月日を経て、様々な形を変えながら、想いを紡いできました。
大切に大切に繋いできた「伝統」として。
そう考えた時、ふと気づいてしまったのです。
もし、書いた歌詞があまりにも的外れなものだったら。
もし、彼女たちの伝統を汚してしまったら。
突然、得体の知れない恐怖が襲い掛かってきました。
神戸公演の帰り、披露された直後に飛行機の中で書いていた歌詞を、消しゴムでなぞりました。
今はもうどんな歌詞だったかは思い出せないのですが、自分の中でこの『逆さまの歌』がよく分からなくなりました。
しばらくして、3rdライブの開催が発表され、止まっていた時は動き出します。
デモ音源自体は出来上がり、後は歌詞と編曲だけの段階になります。
もう一度、タイミングは巡り巡ってやって来ました。諦めないことが、挑戦し続けることが大切なんだと、教えてもらいました。徒町小鈴ちゃんに。
「大事なのは、終わらないこと。いつか成功するって信じること!」
〈104期活動記録第5話「不完全で、未完成」より〉
そして……吟子ちゃんもです。
覚悟を決めて、衣装を直したのだから。3年生のために、最後のラブライブ!大会への優勝のために、手が震えていた彼女へ送られた小鈴ちゃんと、姫芽ちゃんのメッセージに背中を押されました。
「同じ空の下!一緒だよ!」
〈104期活動記録第4話「昔も、いまも同じ空の下」より〉
折角の機会を、このままなかったことにするのも、臆病のままこの曲に向き合えなくても、それだけは嫌だ、と思い、もう一度書き進めることになりました。
まずは、活動記録内でこの曲がどのような立ち位置にあるかというと、吟子ちゃんにとっては形が変わって、おばあちゃんの想いも跡形もなく消えてしまっている、という認識でした。
「歌詞だって違うし、メロディだって!おばあちゃんの愛した曲じゃない!別物だよ!」
〈104期活動記録第1話『未来への歌』より〉
ですが、花帆ちゃんのひたむきな想いと、スクールアイドルクラブの仲間たちのおかげで、改編した時期を見つけ、現代にどのように紡がれてきたのかを知ることになります。
時代を超えて、伝統が受け継がれ、『逆さまの歌』は『Reflection in the Mirror』という曲となりました。
花帆ちゃんも言うように、長い年月をかけて変化してきたため、残っている部分のほうが少ないというのが、まず特徴のひとつ。
「最初にあった曲が、長い年月をかけて、少しずつ変わっていって、今じゃタイトルも違う。残ってる部分のほうが少ないかも。」
〈104期活動記録第1話『未来への歌』より〉
ですが、ただ変わっただけでなく、スクールアイドルの積み重なった想いがあると話します。
「この曲は、ただ変わったんじゃない。スクールアイドルの積み重なった想いで、姿と形を変えていったんだ。」
〈104期活動記録第1話『未来への歌』より〉
そして、もうひとつ重要なキーワードがあります。それは、アプリ「Link!Like!ラブライブ!」内で登場する『UR【Reflection in the mirror】百生吟子』の特訓2回目に聴けるボイスです。
「原曲の逆さまの歌は、今とは歌詞も随分違ってて。なんていうか、自分のことを励ますような歌、だったんです。でも『Reflection in the mirror』は、大切な人と一緒なら自分を信じられるっていう歌に変わってて。」
「自分のことを励ますような歌」
ここが今回作詞する上で最も意識したポイントです。これまでのことを整理すると……
①残っている部分のほうが少ないため、大幅に歌詞は変えるが『Reflection in the mirror』に繋がるようなものにする
②スクールアイドルの積み重なる前の、吟子ちゃんのおばあちゃんたちの時代の想いが乗っている
③自分のことを励ますような歌のため、「君」「あなた」というような二人称は使えない
以上3点を今回意識して作るという点も、この作詞に頭を捻った要因でもあります。
基本的には、相手がいての作詞だったためにこの➂が一番厄介でして。加えて、個人的に難易度が高いな、と感じたのは音数の少なさもあると思います。
アップテンポな曲は、音数が多い。つまり歌詞の文字数ですね、これが多いのですが、今回の『逆さまの歌』はデモ音源の時点でややスローテンポ気味でした。更に、吟子ちゃんのおばあちゃんの世代の楽曲の特徴として、Cメロがないというのが大きな点で、音数はより少なくなります。
そうした葛藤の中で書いた歌詞を、ここからは少し紐解いていこうかな、と思います。
1番Aメロ
まず私が行ったのは、『Reflection in the mirror』の歌詞のバックボーンを捉え、深めることです。そのパートに込められた想いを汲み取り、そこを凝縮して落とし込むと言えばいいでしょうか。
感覚派すぎるので何の参考にもならないかもしれませんが、私は曲に対して向き合う時、自分の中に物語をイメージして置き換えます。例えば『Reflection in the mirror』の1番メロを見ていきましょう。
君が笑えば笑い 君が泣くたび泣いてしまう
鏡越しに 私たちは向かい合う
なんて不思議な世界 目の前に広がる景色は
なにもかもが逆さまに映る
この歌詞を物語としてイメージします。
あなたが、目の前にいて、笑い合うことも、涙を流すことも一緒。鏡越しに向かい合っているようで、目の前の映った逆さまの景色は、まるで不思議な世界、別世界だ。
と、このように言葉を並び替えたり、置き換えたりして作った小説の一文……として見ます。その後、「ではこれが『逆さまの歌』Verならどう変わる?」と考えます。
自室に一人。失敗を引き摺って落ち込んでいるけれど、鏡に向かって笑う。もう泣かない、と自分を鼓舞すれば、昨日とは違う世界、逆さまに映る世界が広がっている。
となります。
ここでのポイントは、寮で自室の鏡を見ている「私」の心情を考えることです。自分のことを励ますような歌、ということはこの「私」には何か落ち込むことがあったと想像します。
となると、変わらない朝。いつもと同じように制服の袖に腕を通し、鏡の前でスカーフを整えながら、その時に自分の表情を作るリハーサルをすると思うんですよね。
女の子ですから、きっとそうだという勝手な妄想です。従って1番Aメロは下のような歌詞になります。
鏡に向けて笑顔見せる 泣いてる私はいない
広がってる景色さえも 逆さまに映る世界
崩しすぎず、ですが現代の曲の言葉を使って作詞づくりは進みます。
1番Bメロ
こんな私でいいのだろうか。目の前のあなたから目を逸らしたら、それは一人で進むということ。あなたの隣に立つにはまだ頼りないかもしれないけれど、自分を信じよう。私を信じてくれたあなたを信じて。
先程と同様に文章に置き換えます。
このイメージを膨らませると、花帆ちゃんがスリーズブーケとして初めて歌った、というのも感慨深いですし、重なりますよね。『水彩世界』とはまた違ったストーリーを感じます。
『水彩世界』は、"私と君の今を繋ぐこれはそんなストーリー"と歌い出します。
どちらかというと梢センパイ側の想いが大きいように捉えたのですが、『Reflection in the mirror』はどことなく花帆ちゃんとも捉えられるし、少し前……1年生の頃の梢センパイとも捉えられます。
では、『逆さまの歌』に置き換えましょう。ここで大きく変化するのは「あなた」や「君」という言葉は使えないということです。
こんな 私でいいのかな… (I'm worried)
背を向けたら 独りと変わらないねきっと
信じるしかない ここに在る自分を
それがきっと君のことを信じるってことだ
太字にした"きっと君のことを信じる"という部分を、『逆さまの歌』では自分を信じるというように考えました。そこに、サビの部分の言葉も入れ込むような形で作りました。
背をね向けてひとり歩くよ
きっと自分信じることが
壁を壊し乱反射した
透明なその欠片 握って
背を向けて、ひとり歩く。自分を信じることがきっと目の前の壁を壊して、困難を乗り越えることが出来る。乱反射した透明なその欠片──未来を握りしめて、さぁ歩き出そう。
というような想いをここには込めています。
自分のことを励ますような歌ということは、自分自身で鼓舞をしているようなニュアンスになると考えます。
曲中で、かなり一人称を使っておりますので注目していただけたらより楽しめるのかなと思います。
1番サビ
どこだって行ける。今はただ自分を信じていれば、夢は夢で終わらない。キラキラ輝くその夢は、未来なのだから。
と、言うようなニュアンスに変えて作詞に落とし込みます。
どこだって行けるはずさ
夢はほら夢で終わらない
今はただ 信じている
キラキラ輝く それは未来
ここでポイントとなるのは、後半部分です。"キラキラ輝く それは未来"という歌詞は、『Reflection in the mirror』のサビの最後に通じます。
キラキラ輝いてる それは未来
敢えてここをグッと原曲の歌詞に近付けることで、「 ①残っている部分のほうが少ないため、大幅に歌詞は変えるが『Reflection in the mirror』に繋がるようなものにする」という部分を意識することになります。
2番Aメロ
間違い探しじゃないのに
間違いばかり探してしまう
自問自答 出口のない迷路だね
×をつける私に ○をつけた君のせいかな
"ありのままで" 今はそう思える
間違い探しではないのに、自分の間違いを見つけてしまう。出口のない迷路のようで、自問自答をしている、✕をつけている私に君は○をつけてくれた。ありのままの私が、私らしさなんだ。
さて、また「君」が出てきましたね。
ここでは、✕をつける私に○をつけてくれるた「君」の存在がいるというのが大きなポイントです。「ありのままの私がいいんだよ」という自己肯定感を高めてくれる「君」という存在。
ですが、『逆さまの歌』では「君」は出てきません。出てくるとするなら……もうひとりの"らしい自分"です。
間違いさがし自問自答
出口の見えない迷路
×(バツ)ばかりをつけるけれど
私らしさって○(マル)だ
ということで、「✕をつけるのが正解ではなくて、○をつけることが私らしいんだ」という自己暗示に近いものを歌詞では表現しています。
自分を鼓舞するのは、自分自身ですからね。
2番Bメロ
初めにも挙げましたが、音数が少ないため原曲のパートごとに汲み取って、合わせることもしています。
言葉だけじゃ足りないけれど
心の中さらけ出してよ
瞳閉じて答え探そう
大丈夫 私なら絶対
言葉だけじゃ足りない。けれども、心の中をさらけ出して答えを探そうよ。瞳閉じれば、迷いも消えていく。大丈夫、私なら大丈夫。
原曲の"間違いなく奇跡"というのは、"答え"と置き換え、"伝える"というのは相手がいて成り立っているので、ここでは"さらけ出す"というように言葉を変化させています。
何かを考える時、自分と向き合う時、人は視界を閉ざし、没入することがしばしばあると思います。私自身がよく物事を整理する=正解を導き出すのにやってしまう癖なのかもしれません。
2番サビ
なんだって出来るはずさ
"叶えたい" その想いあれば
スタートの線越えてく
どんな道だって 怖くはない
なんだって叶えたいという想いがあれば、出来るはず。理由なんてそれだけでいい。スタートの線を超えてしまえば、どんな道だって怖くは無いのだから。
サビの部分は、もちろん1番と2番で"韻を踏む"ということも気をつけています。
「どこだって行けるよね」「なんだって出来るよね」だと、原曲そのままになってしまいます。
どこか"よね"という言葉は語りかけるような文末なので、ここを敢えて自分一人という立場から考えて、自信はあるけどまだほんの少し未来を信じられていないというニュアンスを込めて、"はずさ"に変えています。
サビの部分も、原曲とはかなり音数が違うので言い換えたり、補ったり……と四苦八苦しながら作っていましたが、それもまた楽しくて。
しばらくは『Reflection in the mirror』をずっと聴きながら作詞をしていましたね。
ラスサビ
どこだって行けるはずさ
夢はほら夢で終わらない
答えなら 胸の奥に
キラキラ輝く それは未来
この『逆さまの歌』の大きな特徴は、Cメロがないこと。つまり、核心に迫る部分は最後の歌詞でしか表現出来ないという、過去一難しい部分でもありました。
では最後のサビで何を込めるか。それは……「②スクールアイドルの積み重なる前の、吟子ちゃんのおばあちゃんたちの時代の想いが乗っている」だと思います。
「伝統」は形を変えながら受け継がれていくもの。けれども、想いは変わらず伝わっている。それは花帆ちゃんの言葉が全てだと私は思います。
「吟子ちゃんのおばあちゃんが愛した曲は、誰も忘れてなんかない。こんなにもたくさんの人に愛されて、今に繋がってるんだよ。」
〈104期活動記録第1話『未来への歌』より〉
誰も忘れてなんかない。
その想いを乗せるべく、言葉を綴ります。
答えは初めからもっているものですよね。
胸の奥にしまっていて気付かないだけで、本当は初めからもっている。その答えを探すために、少しだけ自分を鼓舞する。
だからきっと──吟子ちゃんのおばあちゃんは『逆さまの歌』が大好きで、吟子ちゃんも大好きなんだと思います。
終わりに
ここまで歌詞を紐解いてきましたが、ここからは私欲を書かせていただいても宜しいでしょうか?
この曲を世の中へと出したのは、蓮ノ空3rdライブ、スリーズブーケ公演前日。名古屋へ向かう夜行バスの中で、世の中に送り出されたこの曲を聴いて、まるで孫が活躍している姿を見ているようで不思議な感覚でした。
そして迎えた夜公演。1曲目に披露された『Reflection in the mirror』を聴いて、まるでその世界に入り込んでしまったかのような錯覚をしました。
実際に蓮ノ空女学院の卒業生でも無いし、作詞はしてないけれどもどこか作詞したような感覚。
「伝統」が形を変えて繋がっていると確信した瞬間でした。案外形が変わるというのは、吟子ちゃんと同じように別物だ!と思うのかな?と思っていたのでしたが、悪くないなぁ。と思う自分もいて。
というかむしろ自分が愛した曲が、形を変えて繋がっていると考えたら、とても心踊りませんか?
その後に流れた活動記録第1話。死ぬほど見たし、もう台詞すら覚え始めているくらい聞き込みました。
作詞している時期に見ても、作ることに必死で泣くレベルでは無かったはずなのにどうしてでしょうか。
嗚咽が止まらなくて。
それは、嬉しさなのか、感動なのか。この感情に言葉をつけることが難しくて。溢れ出した感情が、涙に変わったのかもしれません。
私は間違いなくあの瞬間だけは……会場の誰よりも、あの時間を愛し、『逆さまの歌』を愛していたと言えます。
それから時は過ぎて、先日1月10日、11日の横浜公演では、活動記録第1話のあとに『Reflection in the mirror』が披露されました。
歌い継がれるというのは、やはり嬉しいもので。『逆さまの歌』を悩みながらも、終わらせずに、形にすることができて心の底から良かったなと思います。
届け──私たちの歌。
皆さまの花咲く想いの一助になれましたら。
そして、吟子ちゃんのおばあちゃんが愛した曲を、どうか忘れないでください。